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DRAGON BALL [トイ]



「お前の竜になりたいという気持が、まだまだ突きつめていないからだ。だからだめなんだ。」
「そんなことはない。これほど一生懸命に、竜になりたい竜になりたいと思いつめているんだぜ。こんなに強く、こんなにひたむきに。」
「お前にそれができないということが、つまり、お前の気持の統一がまだ成っていないということになるんだ。」
「そりゃひどいよ。それは結果論じゃないか。」
「なるほどね。結果からだけ見て原因を批判することは、けっして最上のやり方じゃないさ。しかし、この世では、どうやらそれがいちばん実際的に確かな方法のようだぜ。今のお前の場合なんか、明らかにそうだからな。」

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斉天大聖・孫悟空

 悟空によれば、変化の法とは次のごときものである。すなわち、あるものになりたいという気持が、この上なく純粋に、この上なく強烈であれば、ついにはそのものになれる。なれないのは、まだその気持がそこまで至っていないからだ。法術の修行とは、かくのごとく己の気持を純一無垢、かつ強烈なものに統一する法を学ぶにある。この修行は、かなりむずかしいものには違いないが、いったんその境に達したのちは、もはや以前のような大努力を必要とせず、ただ心をその形に置くことによって容易に目的を達しうる。これは、他の諸芸におけると同様である。変化の術が人間にできずして狐狸にできるのは、つまり、人間には関心すべき種々の事柄があまりに多いがゆえに精神統一が至難であるに反し、野獣は心を労すべき多くの瑣事をもたず、したがってこの統一が容易だからである、うんぬん。
 悟空は確かに天才だ。これは疑いない。それははじめてこの猿を見た瞬間にすぐ感じ取られたことである。初め、あから顔・ひげ面のその容貌を醜いと感じた俺も、次の瞬間には、彼の内から溢れ出るものに圧倒されて、容貌のことなど、すっかり忘れてしまった。今では、ときにこの猿の容貌を美しい(とは言えぬまでも少なくともりっぱだ)とさえ感じるくらいだ。その面魂にもその言葉つきにも、悟空が自己に対して抱いている信頼が、生き生きと溢れている。この男は嘘のつけない男だ。誰に対してよりも、まず自分に対して。この男の中には常に火が燃えている。豊かな、激しい火が。その火はすぐにかたわらにいる者に移る。彼の言葉を聞いているうちに、自然にこちらも彼の信ずるとおりに信じないではいられなくなってくる。彼のかたわらにいるだけで、こちらまでが何か豊かな自信に充ちてくる。彼は火種。世界は彼のために用意された薪。世界は彼によって燃されるためにある。

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天蓬元帥・猪八戒

 三蔵法師は不思議な方である。実に弱い。驚くほど弱い。変化の術ももとより知らぬ。途で妖怪に襲われれば、すぐにつかまってしまう。弱いというよりも、まるで自己防衛の本能がないのだ。この意気地のない三蔵法師に、我々三人がひとしく惹かれているというのは、いったいどういうわけだろう? (こんなことを考えるのは俺だけだ。悟空も八戒もただなんとなく師父を敬愛しているだけなのだから。)私は思うに、我々は師父のあの弱さの中に見られるある悲劇的なものに惹かれるのではないか。これこそ、我々、妖怪からの成り上がり者には絶対にないところのものなのだから。三蔵法師は、大きなものの中における自分の(あるいは人間の、あるいは生き物の)位置を――その哀れさと貴さとをハッキリ悟っておられる。しかも、その悲劇性にたえてなお、正しく美しいものを勇敢に求めていかれる。確かにこれだ、我々になくて師にあるものは。なるほど、我々は師よりも腕力がある。多少の変化の術も心得ている。しかし、いったん己の位置の悲劇性を悟ったが最後、金輪際、正しく美しい生活を真面目に続けていくことができないに違いない。あの弱い師父の中にある、この貴い強さには、まったく驚嘆のほかはない。内なる貴さが外の弱さに包まれているところに、師父の魅力があるのだと、俺は考える。もっとも、あの不埒な八戒の解釈によれば、俺たちの――少なくとも悟空の師父に対する敬愛の中には、多分に男色的要素が含まれているというのだが。
 まったく、悟空のあの実行的な天才に比べて、三蔵法師は、なんと実務的には鈍物であることか! だが、これは二人の生きることの目的が違うのだから問題にはならぬ。外面的な困難にぶつかったとき、師父は、それを切抜ける途を外に求めずして、内に求める。つまり自分の心をそれに耐えうるように構えるのである。いや、そのとき慌てて構えずとも、外的な事故によって内なるものが動揺を受けないように、平生から構えができてしまっている。いつどこで窮死してもなお幸福でありうる心を、師はすでに作り上げておられる。だから、外に途を求める必要がないのだ。我々から見ると危なくてしかたのない肉体上の無防禦も、つまりは、師の精神にとって別にたいした影響はないのである。悟空のほうは、見た眼にはすこぶる鮮やかだが、しかし彼の天才をもってしてもなお打開できないような事態が世には存在するかもしれぬ。しかし、師の場合にはその心配はない。師にとっては、何も打開する必要がないのだから。

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三蔵法師・玄奘
 
 二人とも自分たちの真の関係を知らずに、互いに敬愛し合って(もちろん、ときにはちょっとしたいさかいはあるにしても)いるのは、おもしろい眺めである。およそ対蹠的なこの二人の間に、しかし、たった一つ共通点があることに、俺は気がついた。それは、二人がその生き方において、ともに、所与を必然と考え、必然を完全と感じていることだ。さらには、その必然を自由とみなしていることだ。金剛石と炭とは同じ物質からでき上がっているのだそうだが、その金剛石と炭よりももっと違い方のはなはだしいこの二人の生き方が、ともにこうした現実の受取り方の上に立っているのはおもしろい。そして、この「必然と自由の等置」こそ、彼らが天才であることの徴でなくてなんであろうか?
中島敦「悟浄歎異―沙門悟浄の手記―」より

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捲簾大将・沙悟浄

今日の1曲
Digging Your Scene 「ディギング・ユア・シーン」/Blow Monkeys
ビートルズにも紹介された(?)ドクター・ロバートです
http://www.youtube.com/watch?v=LJOzuIjX3IQ&feature=related
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チョイス

オークションやりくり日記 4日目
今からフィギュアを集めるのはとても無理なので、これで我慢することにしました…
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デモンズ・クロニクル フィギュアブック 新紀元社
定価1,200円→相場4,000円前後→落札価格2,000円(他に送料210円)
第7弾が出た時点での悪魔図鑑なので、ちょっと中途半端なのが残念です
完全版が出る…わけないですね

こちらの記事もどうぞ
天使の九階級


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