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パンク&ニュー・ウェイヴ 1976-1979 part2 [ミュージック]




前回の続編です

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『勝手にしやがれ』2007年紙ジャケ盤のオマケ、片面シングル「サブミッション」レーベルの復刻

日本コロムビアのディレクター本間孝男氏のインタビューを続けます

79年にABCがMCAに移って洋楽部が解体しました。洋楽部国内制作のゴダイゴやルースターズは、ジューシー・フルーツなどがいたニューミュージックのセクションに合体されて、洋楽ポピュラー担当は私一人だけになった。ジャズの小さいレーベルの残務整理ですね。ルーレットのカウント・ベイシーやサラ・ヴォーン。マル・ウォルドロンの『レット・アローン』があるベツレヘム。
でもロックをやりたい。そうだ、私にはPiLがある。で、「次の作品があるならばうちで出したい」と手紙を書いたら「『メタル・ボックス』というのがある」って。でも金属ケースはちょっと作れない(笑)。「他のフォーマットのはないか」「“セカンド・エディション”が出る」と。で、『フラワーズ・オブ・ロマンス』以降3作品までの契約もした。
“セカンド・エディション”の宣伝では、80年に『平凡パンチ』の方と一緒にロンドンのキングス・ロード近くのジョン・ライドンの家にインタヴューに行きました。実はこれが初対面なんだけど、そんなにエキセントリックな人じゃないとはわかっていたし、緊張はしなかった。お土産に発売間もないウォークマンを持って行ったんです。そしたらジョンが大喜びして一緒にいたキース・レヴィンなんかと奪い合いの大騒ぎ。作戦は大成功でした。話も弾んで2時間くらい彼の家に滞在したのかな。
82年には後にHIPを始める林博通さんと一緒にNYでジョンと会って、招聘も決めた。来日は83年6月。中野サンプラザ5回、名古屋シティホール、京都私学会館、大阪フェスティバルホール、すべて満員。ただ、キースはヘロインで来られず。ジョンとタクシーで移動中に「どうして連れて来なかったんだ」って聞いたんですが、「来てたらとんでもないことになる。俺も1回シドのことがあって、これ2回目だからすごい落ち込んでるんだよ」って言ってました。ツアーは全行程同行してライヴも録りました。『ライヴ・インTOKYO』。レコーディングは7月1、2日の中野サンプラザ。発売は8月21日。

――(LPの帯を見て)「スポットがあたる。そこにジョンがいた…」。いいコピーですねえ。
それ、私です。私のパターンです。

――帯にピストルズという字が一切ありません。
使ってもいいんですけども、それじゃあ来て下さっているファンの皆様に申し訳がない。やっぱりジョニー・ロットンじゃなくて、ジョン・ライドンのバンドとしてPiLを見てもらうっていうプロモーションを組み立ててますから。他の人だったらやるでしょうけど。
写真は井出情児さんに撮ってもらった。雨上がりの夜の新宿東口です。ジョンはこういう時はきちんとやってくれる。すっごい頭のいい人なんです。ジョニー・ロットンの時もジョン・ライドンの時も完璧に演じてる。イギリスのヴァラエティ・ショーなんかではほんとにグータラなパンカーを演じちゃいますから。でも二人だけで話す時は、他人には言いたくなかったんだけれども、普通の人です。こちらがいい加減だと「お前、どうしてだ」って突っ込まれる。シドやキースとつきあうような社会環境にはいたんだけども、哲学的なものを持ってた。キリスト教が大嫌いで、スコットランドの詩人や小説家はものすごい好きなんです。知識もある。「英文学の先生になったら」って言ったら「うん、それもありだな」って言ってましたからね。スコットランドの作家の本をもらったことありますよ。実生活でのパートナーのノラさんもドイツの超一流の出版社の経営者のお嬢様で、非常に知的なんですよ。彼女と長く一緒にいられるってのは、ジョンも相当ちゃんとした人なんだと思います。

セックス・ピストルズとPiL以降は、ファクトリー所属のニュー・オーダー、4ADのコクトー・ツインズやブルガリアン・ヴォイス、ピストルズ以前ではバブルガム・ミュージックやユーライア・ヒープの話も出て来ますが、それらはまた別の機会にとさせていただきます。

それでは、ヴァージン・レコード40周年記念コンピ『パンク&ニュー・ウェイヴ 1976-1979』からのお薦めを紹介します
女性ヴォーカルにこだわって4曲選んでみました
パティ・スミスやデボラ・ ハリーほどの大物はいませんが、なかなか個性豊かです
ただし、日本では知名度ほとんどゼロなのが残念…

まず、1曲目
Oh Bondage, Up Yours!「オー・ボンデージ、アップ・ユアーズ!」 / X-Ray Spex
http://www.youtube.com/watch?v=bmJ9jW3wVtE
ちょっとイカれたお姉ちゃんに見えなくもないですが(笑)、ポリー・スタイリーンのヴォーカルが扇動的なこのシングル曲(VS189)は、性差別や人種差別などによる束縛からの解放を訴えます
パンク・ロック…というか、そもそもロックは、社会で抑圧されたアウトサイダーたちが自由と連帯を求めるための讃歌ですから、男性よりも女性の方が相応しいのかもしれません
ポリーは2001年に乳癌で死去、ロンドン・パンク黎明期から活躍していたヒロインの霊に対し、英国民の多くが哀悼の意を表したそうです
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今日の2曲目
Firing Squad 「ファイアリング・スクワッド」/ Penetration
http://www.youtube.com/watch?v=DSC-5wWvQSc
フォーク・クラブで歌っていた18歳の少女ポーリン・マレーは、セックス・ピストルズのステージを観て感激、パンク・ロック・バンド、ペネトレイションを結成します
77年1月にデビュー、約半年後にヴァージンと契約し、シングル「ドント・ディクテイト」(VS192)を発表
「ファイアリング・スクワッド」は翌78年に発表したシングル(VS213)ですが、こちらもポーリンのヴォーカルに勢いがあり、掛け声でさらに盛り上がります
日本のガールズ・バンドがパクっていそうな模範的名曲です
なお、ペネトレイションに中途加入した(パンクに似合わない)長髪のリード・ギタリスト、フレッド・パーサーは後にヘヴィメタ・バンド、タイガース・オブ・バンタンのメンバーとなったそうです
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今日の3曲目
Breaking Down The Walls Of Heartache 「ブレイキング・ダウン・ザ・ウォールズ・オブ・ハートエイク」/ Jane Aire And The Belvederes
http://www.youtube.com/watch?v=Pg1Vi4KsHKo
「恋はメキ・メキ」で有名なトム・ジョーンズは、大英帝国の国民的歌手ですが(アート・オブ・ノイズとも共演)、ヘンリー・フィールディングの小説 「トム・ジョーンズ」にあやかった芸名(本名はトーマス・ジョーンズ・ウッドワード)であることは明らかです
で、こちらはシャーロット・ブロンテの小説にあやかったジェーン・エアさん(ただし、スペルはJane Eyre に対しJane Aire)
79年発表のシングル(VS296)ですが、パンクは過ぎ去り、お洒落なニュー・ウェイヴの登場です
当時国内盤も出ていたようですが(アルバム『甘い罠』、ジェーン・エアのソロ名義)、今となってはほとんど情報が残っていません
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今日のトリ
Money 「マネー」/ The Flying Lizards
http://www.youtube.com/watch?v=insVgcOVVDQ
アート・スクールでダダイズムなどを勉強していたというデヴィッド・カニンガムが結成したフライング・リザーズ
78年のデビュー・シングル「サマータイム・ブルース」(VS230)はエディ・コクランのカヴァーでしたが、こちらは翌79年発表のセカンド・シングル(VS276)でバレット・ストロングのカヴァー
デボラのヘタウマ…いや、ただ下手なだけのヴォーカルと段ボール叩いてるだけのサウンドは、オールディーズと前衛音楽の融合、ポスト・パンクを象徴するダダ的ポップスという能書きがなくても、十分中毒性があります
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コメント 2

sknys

PiLの《Metal Box》(Virgin 1979)は大好きなアルバムです。
地雷をイメージしたという「缶ケース」ではなく、
2枚組の《Second Edition》(1980)の方ですが^^

1983年の来日公演(中野サンプラザホール 6/27)にも行きました。
2階席でしたが、ライヴ中に突然最前列で殴り合いが始まって
超ビビっちゃった^^;
パンク小僧とニュー・ウェイヴ野郎の涙ぐましい喧嘩です。
by sknys (2014-08-29 02:48) 

モバサム41

sknysさん、帳尻合わせコメントありがとうございます。
Sex Pistolsにはドン引きしたのに、PiLは大好きだったわけですね。
缶ケース入りは去年だったか復刻されて、手に入れようとしたらあっという間に売り切れていた記憶があります。
by モバサム41 (2014-09-09 21:31) 

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