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テレーズ・ラカン [ブック]




前回触れた『フランス文学と愛』では、この本も取り上げられていました

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エミール・ゾラ 『テレーズ・ラカン (上)』 岩波文庫
エミール・ゾラ 『テレーズ・ラカン (下)』 岩波文庫

幼い時からラカン夫人に引き取られた孤児テレーズは、成人し、一緒に育った夫人の一人息子カミーユの嫁になる。しかし、カミーユは生来病弱で、しかもマザコン。新婚生活はテレーズにとって陰鬱なものでしかなかった。そこに夫の勤め先の友人で画家志望のローランが訪問する。テレーズは夫とは正反対のローランのたくましい肉体、ハンサムな顔立ちに魅了される。「ブルジョワ的な甘ったるさのなかで、息の根を止められて」いたテレーズとローランのあいだにはたちまち情欲が燃え盛り、やがて二人は白昼堂々、夫のいない寝室で情事にふける仲になる。何ひとつ気づかない夫や姑を嘲笑してテレーズは「勝ち誇ったように」いう。「みんな、ものごとが見えていないのよ。だって愛なんてものを知らないんですもの」。
その「愛」の力に支配されるがまま、ローランはとうとう(テレーズの暗黙の同意のもとに)凶行に及ぶ。ある日カミーユと三人で船遊びに行き、カミーユを川へ突落し溺死させてしまう(ボートの転覆事故を装った)。
ところが邪魔なカミーユが消えてしまうと、テレーズとローランをあれほど悶えさせていた互いに対する情欲も嘘のように鎮静化する。「殺人は、抱擁をも、吐き気をもよおす、うんざりするものにさせるほどの、熱烈なる快楽と思われたのだ」。事件のほとぼりが冷めたのち、二人はついに結婚するが…

「死体公示場であのひとをみたの?」彼女はローランに、カミーユとはいわないで、そうきいた。
ローランはこの問を予期していたようだった。しばらく前から、それを、テレーズの青白い顔のうえに、読みとっていたのだ。
「うん」と、彼は、のどをしめつけられたような声で答えた。
ふたりの人殺しは身ぶるいした。ふたりは火のそばへ寄って、炎に手をかざした。まるで、氷のような風が、ふいにあたたかな部屋を吹きぬけたかのように。ふたりはしばらくだまったまま、身をかがめ、うずくまっていた。やがて、テレーズが低い声できいた。
「ひどく苦しんだ様子でしたの?」
ローランは答えることができなかった。みるもいやな幻覚をはらいのけるかのように、おびえたしぐさをした。彼は立ちあがり、ベッドのほうへ歩きかけたが、荒々しくひきかえすと、腕をひろげてテレーズに向かっていった。頸をさしだしながら、彼はいった。
「接吻してくれ」
夜着姿のテレーズは、顔をまっ青にして立ちあがり、暖炉の大理石の飾りに肱をついて、なかばあおむきになっていた。彼女はローランの頸のところをみつめた。白い皮膚のうえにバラ色のあざをみつけたからだ。頸にのぼってくる血の波があざをひろげ、そのあざは燃えるような赤色になっていた。
「接吻してくれ。接吻してくれ」と、ローランはせがんだ。顔も頸もほてっている。
テレーズは、接吻を避けようとして、なおも身をのけぞらせ、きいた。
「なに、これは? こんな傷があるなんて、知らなかったわ」
ローランはテレーズの指先で喉をつきさされたような気がした。指がふれると、ローランは苦痛の叫び声をたて、飛びのいて、口ごもりながらいった。
「これか、これはな…」
ローランはためらった。だが、嘘はつけなかった。ついほんとうのことをいってしまった。
「カミーユにかみつかれたのだよ。ボートのなかで。なんでもないさ、もうよくなっている。…接吻してくれ。接吻してくれ」
そういって、ローランは焼けつく頸をさしだした。テレーズに傷跡を接吻してもらいたかったのだ。この女に接吻してもらえば、肉をきりさいなむこの絶間ないうずきもおさまるだろうと、前から望みをかけていた。ローランはあごを上げ、頸を前につきだして、待ち受けた。暖炉の大理石のうえにほとんど横臥していたテレーズは、この上もない嫌悪のしぐさをみせ、哀願するように叫んだ。
「いやよ! そこは。血が出てるわ」
テレーズは顔を両手にうめ、ふるえながら低い椅子のうえにくずれるように身をふせた。ローランは茫然として立ちつくし、あごを引いて、うつろな目でテレーズをみた。と、いきなり、獲物をつかむ野獣のように、大きな手でテレーズの顔をとらえ、力ずくで、その唇を自分の頸の、カミーユのかみ傷におしつけた。しばらく、彼はテレーズの顔を自分の肌にあて、そこにおしつぶすようにしていた。テレーズはされるがままに身をまかせ、かすかに嘆声をもらしながら、ローランの頸で息のつまる思いをした。ローランが腕をはなしたとき、彼女は荒々しい手つきで口をふいて、暖炉に唾をはいた。口はひと言もきかなかった。

「この結婚こそ、殺人への宿命的な却罰」だった。溺死者の幻にさいなまれながら、殺人者同士は互いに憎悪を募らせ、夜ごとなじりあう。喧嘩は決まって、ローランがテレーズを猛烈に殴り蹴りすることでけりがつく。そして、最後の結末は…

たとえば、『カルメン』の主人公ドン・ホセなら、カルメンのせいで死刑囚になり果てますが、心の片隅にこんな思いがあったはずです
「たとえ一時ではあっても、おれはカルメンほどの女に愛された。そして、その愛の代償として盗みも人殺しもやってしまった」
誇らしげな気持ちで、本当の愛など知らないだろう死刑執行人や群がる野次馬どもを冷やかに眺めたかもしれません
つまり、『カルメン』にはヒロイズム、ロマン主義の残滓のようなものがあった訳ですが、ゾラになると自然主義の名の下にそういった幻想は徹底的に粉砕されます
『テレーズ・ラカン』は、奈落に落ちてそこをのたうち回るような作品
主人公たちには何も残らない、ポカンと穴が空いたような感じ
描写も容赦ありません
死体公示場に陳列されている大勢の死体、焼け死んだもの、首つり、殺されたもの、水死人、穴があいたり、つぶされたりしたものの描写はぞっとしますが、それを大勢の見物人がおもしろがって眺めている、暇な老人ばかりでなく、貴婦人や女工連までいて…下町育ちの子供らも大挙押し寄せて、野卑な言葉を飛ばしながら満足そうに眺めている…死者たちよりも少しばかり長く生きられたということで優越感に浸っているのかもしれません
物語の後半の見せ場は、姑のラカン夫人との心理戦
夫人は息子の死のショックで全身麻痺に陥りますが、やがて新夫婦の諍いから事件の真相を悟り、二人に対しもの悲しげな視線だけで果敢に攻撃を仕掛けてきます

これでもかこれでもかとあまりに執拗な描写が続くので、当時の文壇の重鎮サント=ブーヴがイエロー・カードを提示、「限界を超えている」と作品を非難しますが、さすがは怪傑ゾラさん(当時27歳)、平然と答えたものです
自分の主人公たちには「本能しかない」、いかなる意味でも「二人は決して愛しあっていない」、「このドラマは、なんといっても生理学的なもの」なのだと
後に自然科学の観察記録のような超大作『ルーゴン=マッカール叢書』全20巻を書き上げるゾラの面目躍如といったところです

今日の1曲
Real Love 「リアル・ラヴ」/ Jody Watley
https://www.youtube.com/watch?v=r-FUquLYdxQ
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グレイテスト・ヒッツ
実は、1st 『JODY WATLEY』、2nd 『ラージャー・ザン・ライフ』も持っています
ジョディ・ワトリー(元シャラマーに在籍)結構好きでした(笑)

読めば吐き気を催すことは必至です
でも、大傑作であることに変わりありません
現代小説は、これを超えられないなら存在する価値はない…そこまで断言できます

おまけ
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モーリヤック 『テレーズ・デスケイルウ』 新潮文庫
モーリヤックはノーベル賞作家ですが、最近ではすっかり読まれなくなってしまいました
主人公テレーズは自由を得るため夫の毒殺を図りますが、失敗し幽閉されます
夫は、常に妻から殺害される運命にあります

遠藤周作訳も入手しました(7月30日神保町長島書店)
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モーリアック 『テレーズ・デスケルウ』 講談社文芸文庫
どうせ読まないけど…(笑)


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