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雪白姫 [ブック]




たぶんぼくらはこんなところで大樽の番をしていたり、ビルディングの清掃をしたり、ほかの誰もかれもがやっているみたいに、週一度、酒蔵に稼ぎを運んでくるなんてことをしていてはだめなんだ。たぶん何かまったく別のことをしていなくてはだめだ、ぼくらの生活に対して。何をすべきかはてんでわからないけど。ぼくらは考えもしないでやることをやる。大樽の番をして、ビルディングの清掃をして、酒蔵に稼ぎを運んできて、そういう過程全体がさもしくないかと一瞬たりとも考えはしない。どこかで誰かがぼくらを軽蔑している。ダラスの温泉で、痛風の思想家が考えている、父よ彼らを許したまえ。以前はもっと悪かった。それだけはいえる。雪白姫が森のなかで迷っているのを見つける前はもっと悪かった。雪白姫が森のなかで迷っているのを見つける前、ぼくらは平静がぎっしり詰まった暮らしをしていた。みんなの分の平静があった。ぼくらはビルディングの清掃をして、大樽の番をして、週一度、郡公認の女郎屋へすたこら出かけた(やれやれご苦労)。ほかの誰もかれもがしているように。ぼくらは素朴なブルジョワだった。自分のすることがわかっていた。雪白姫が空腹をかかえて狂ったみたいに森のなかをさまよっているのを見つけたとき、ぼくらはいった。「何が食べたい?」それがいまでは何をしてよいやらわからない。雪白姫はぼくらの暮らしに混乱と苦悩の次元をつけ加えた。かつては自分のすることがわかっていた単純なブルジョワだったのに、いまではおろおろする複雑なブルジョワだ。この複雑さがどうにも気に入らない。ぼくらはうんざりしながらそのまわりをまわって、商店の主みたいな人差指でときおりそいつを突ついてみる。何だね、それは? そいつはたぶん商いにとってよくないだろ? 平静がどこかから漏れて、なくなってしまった。それでも、平静なんぞ重大な関心でない瞬間はあったのだ。ぼくらが雪白姫を見つめて、みんな彼女のことが好きなんだと初めて悟ったあの瞬間。あれはひとつの瞬間だった。

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ドナルド・バーセルミ 「雪白姫」 白水Uブックス
「でもあたし誰を愛したらよいのかしら?」倦怠と不安の現代に生きる雪白姫とその7人の恋人たちが巻きおこす、スーパー前衛ファンタジー! アンダーグラウンド・ディズニーのポップな小説空間を縦横に行き交うユーモアあふれるイメージ。さばくは名手、柳瀬尚紀。

(以下、朝日新聞から引用)
ジェイムズ・ジョイスやルイス・キャロルの翻訳で知られる英文学者で翻訳家の柳瀬尚紀(やなせなおき)さんが7月30日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は妻由美子さん。
北海道根室市生まれ。言葉遊びが随所にちりばめられて「翻訳不可能」とも言われたジョイスの小説「フィネガンズ・ウェイク」を8年がかりで訳して話題を集めたほか、キャロル「不思議の国のアリス」、ロアルド・ダール「チョコレート工場の秘密」などを手がけた。近年はジョイスの大作「ユリシーズ」の全訳完成を目指していた。

謹んでご冥福をお祈りします
マイ・ライブラリーを探ってみましたが、うちの「ユリシーズ」は河出版世界文学全集で丸谷才一ほか2名訳だし、「不思議の国のアリス」は旺文社文庫が多田幸蔵訳で、新潮文庫が矢川澄子訳だし、「フィネガンズ・ウェイク」は全訳版が河出文庫から出て歓喜したんだけど、値段を見たら本体1,200円税別でこれが全3巻続くのはきつくないかい?と躊躇してたら、あっという間に本は品切れ、入手困難になってしまったし…
ということで、約10年間ツンドク状態だった雪白姫をピンチ・ヒッターで起用することになりました

で、ようやく読んだ(笑)、感想ですが…
現代文学は難解…という先入観を見事に覆してくれました
まあ、意味が把握しにくい部分も三割ほどありますが、七割意味不明だった金星蟹『ソフトマシーン』に比べれば遥かにましでしょう
ワハハと大声では笑えませんが、ムヒヒと屈折した笑いを楽しむことができます
例えば…
(ネタバレ気味ですが)ちょうど100ページ目にアンケートが挿入されていて、
「ジェインが意地の悪い継母だとおわかりになりましたか?」とか、
「七人の男たちはそれぞれ個人としての性格が充分に描かれているとお考えでしょうか?」とか、質問されたり

継母ジェインのフル・ネームがジェイン・ヴィリエ・ド・リラダンだったり、
ジェインの愛人ホーゴー(こいつは雪白姫を仕留めにいく猟師役?)のフル・ネームがホーゴー・ド・ベルジュラックだったり

それから、ラプンツェルもおまけで出てきたり

雪白姫がふたたび窓の外へ髪を垂らした。今度はもっと長がった。ほぼ4フィートの長さだった。それにゴールデンプレルでシャンプーしたばかりだった。彼女は物質界の男性支配に多少腹立たしくなっていた。「ほんと、ああいう電気の接続なんかに雄雌の呼び名をつけた男に手を下してやりたいこと! 都会ずれしてるつもりだったんでしょうよ。だけどそれでバッファロー問題がめちゃめちゃにされるのを阻止したわけじゃない、わかるでしょ。バッファローはどこへいっちゃったの? 何マイルも何マイルも何マイルも何マイルも何マイルも何マイルも数百マイルも歩いたって、ただの1頭も見られないんだから! それに鉄道が一等地を残らずひったくってしまうのを阻止したわけじゃないし! それに疎外がいたるところにしみ込んで、大きな灰色のこわれた電気毛布みたいに何もかも覆ってしまうのを阻止したわけじゃない、しかもスイッチを『オン』に押してあるのによ! だから何だかんだと、あたしが真剣じゃないって非難することないじゃない。女は真剣じゃないにしろ、少なくとも大馬鹿じゃなくてよ!」雪白姫は窓から首を突き出して、垂れさげていた長い黒髪をたぐり入れた。「誰もよじのぼりにこなかったのね。それがすべてを語ってる。あたしにとって頃合が悪いのよ。あたしが頃合を間違えているわけ。ああしてあんぐりぽかんと口をあけて突っ立っている人たちは、みんなどこかが狂ってるわ。それにここへきて、せめてよじのぼろうと試みなかった人たちもみんな。役割を果たそうともしなくて。それにこの世そのものがそうなのね、皇太子様ひとり提供できないんだから。せめて物語の正確な結末を提供するだけの文明にも達せないんだから。」

ちょっと褒め過ぎかもしれませんが、世紀末版「ライ麦畑でつかまえて」という評価です

今日の1曲
2015年の「マイ」年間No.1 ソングです
Be Beautiful ft. Luke Sital-Singh 「ビー・ビューティフル」/ Aqualung
https://www.youtube.com/watch?v=LaIDoKMSKvw
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アクアラング 『テン・フューチャーズ
女性に美を求めるのは禁物なのでしょう
猟奇殺人が増加する恐れがありますから

ある日、お妃が鏡に訊いた。
鏡よ、壁の鏡よ。
世界中で一番美しい女は、誰?
すると鏡が返事をした。
お妃さま、あなたはとても美しい。
けれど白雪姫さまは、何千倍も美しい
これを聞くとお妃は驚いて、妬ましさのあまり血の気が引いて、黄色くなったり青くなったりした。
この時からというもの、お妃は白雪姫を見るだけで心臓が捩じれるほどに憎らしくてたまらなかった。嫉妬や慢心が心の中に雑草のようにだんだんと生い茂り、夜も昼もじっとしていられなくなってきた。そこで猟師を一人呼んで言った。
「あの子を森の中へ連れてっておくれ。もうあの子を見るのも嫌なの。殺してしまって、その証拠に肺と肝を持ってくるのよ」

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コメント 2

sknys

柳瀬尚紀のエッセイや翻訳は面白かったけれど、
ロアルド・ダールの日本語訳には異論があります。
ポール・セイヤーの『狂気のやすらぎ』(草思社 1989)を訳した
東江一紀さんも、2014年に亡くなっていました。
2人の優れた翻訳家に合掌。

P. S.「文藝別冊 山上たつひこ」(河出書房新社 2016)に特別寄稿した
江口寿史のマンガが激ヤバ!‥‥
劇画に批判的だった寺田ヒロオが主人公というのも超強烈です。
萩尾望都のこまわり君も素敵にゃん^^;
by sknys (2016-08-12 13:43) 

モバサム41

sknys さん、コメントありがとうございます
「文藝別冊」は、岩波ブックセンターで見かけました
水木しげるに続いて山上たつひこまで亡くなったのかと勘違いしちゃいました(笑)



by モバサム41 (2016-08-21 23:24) 

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