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2018年のフランケンシュタイン [アート]




10月7日付朝日新聞の文化文芸面でこんな記事を見つけました

鹿の頭の剥製のように、人間の顔の立体が三つ、壁に掛けられている。死体の断片を継ぎ合わせた怪物が登場する小説の発表から200年、現代美術展「2018年のフランケンシュタイン」に出ている作品なのだが、どうやって作られたのかを知ると、空恐ろしくなる。
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ヘザー・デューイ・ハグボーグ(米)の「ストレンジャー・ヴィジョンズ」(2012~13年)は、路上や公園で拾った髪の毛や吸い殻からDNA を採取し、落とした本人の顔を再現したものだ。企画者の高橋洋介・金沢21世紀美術館学芸員によれば、親戚ぐらいには似ていて、犯罪捜査にも活用されているという。
無意識に落としてしまったものから個人情報が抜き出され、遺伝子決定論に基づく新たな監視が実現している不気味さを感じさせる。
バイオテクノロジーや生物を使った芸術潮流「バイオアート」の一端を紹介する企画展で、ディムット・ストレーブ(独)による、ゴッホが切り落とした耳を復元する試みも紹介。ゴッホの父系の子孫の細胞と母系の子孫のDNA から作り上げた耳の写真と映像を展示している。
Aki INOMATA (日)は世界各地の都市の模型を載せた樹脂性貝殻を3D プリンターで複数制作し、ヤドカリのいる水槽に入れる。すると、ヤドカリが引っ越しを繰り返す。愛らしさやグローバル化への言及の一方、自然への人間の介入か、両者の共存か、と思わせる。
小ぶりな企画で「これもバイオ?」と感じる作品もあるが、全体としては人間存在や倫理についてひりひりと考えさせる。それでもなお、これらがアートか、と気になる。
冒頭に記した「顔」の作品では、空恐ろしさはうつろな目が倍加している。時代に潜む課題や問題をモノや映像として視覚に訴えるのがアートだとすれば、出品作の多くもアートと考えられるのだろう。薄ら寒さを感じつつも。

…というわけで、異国人でごった返す表参道のGYRE に行って来ました
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2018年のフランケンシュタイン
バイオアートにみる芸術と科学と社会のいま
2018/9/7-10/14 11:00-20:00
EYE OF GYRE 3F
https://gyre-omotesando.com/artandgallery/bioart/

イギリスの小説家メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」を発表して2018年で200年となる。生命の謎を解き明かした科学者ヴィクター・フランケンシュタインが死者の断片をつなぎ合わせて生み出した怪物は、その後、何百という芸術作品のテーマになってきたが、この小説で提起された「創造物による創造主への反乱」や「神に代わり生命を創り出すことの代償」、「性と生殖の分離」といった問題は、人工知能や幹細胞などにまつわる技術が飛躍的に発達する今日、古びるどころか、ますます現代的なものになってきている。
ゆえに、本展では、「フランケンシュタイン」が提起した問題に焦点を当て、中でも今日の芸術と通底する主題―「蘇生」「人新世」「生政治」―をもとに、9作家の作品を選んだ。一握りとはいえ、ここで紹介される5カ国の作家たちの作品には、「著作物としての生物」や「タンパク質による彫刻」、「人新世の芸術の原点としてのランドアート」といった芸術の表現媒体や歴史、制度に関わる新たな問題群が凝縮されている。本展は、近年、世界的な隆盛を見せ始めている芸術の新潮流「バイオアート」の最前線の一端を紹介するものであるが、バイオテクノロジーや生命に関係すればなんでも「バイオアート」といった形式的な分類や表面的な理解に与するものではない。アーティストたちが選び取ったそれぞれの表現媒体が、今日の歴史や社会の文脈の中でいかなる意味を生み出し、そしてその意味を超えたものをどのように内包させているかを今日の視点から問い直すものでもある。
本展が、生命創造の寓意が現実のものとなりつつある時代の新たな芸術の価値を位置付けるための手がかりとなり、その未来を少しでも感じさせることができたなら、これに勝る喜びはない。

第1章
「蘇生」
「フランケンシュタイン」の怪物は死体を繋ぎ合わせることで誕生したが「死者を断片的に蘇生する」ことはバイオアートが伝統的な芸術に突きつける新たな主題である。古代から中世にかけて「死者の蘇生」は、キリストの復活や西行の反魂術など人為を超えた奇跡や超自然を表す表象であり、あくまで、社会に潜む不安や教訓の隠喩にすぎなかった。しかし、19世紀初期の「フランケンシュタイン」では、生命はもはや超自然や奇跡の類として描かれない。18世紀末に行われたイタリアの解剖学者ルイジ・ガルヴァーニの動物電気実験(死体の神経に電気を流すと腕や足が動くこと)などがこれまでの生命観を唾棄すべきものに変えたことが語られ、生物も他の物理現象と同じように再現・操作できるものとする近代の機械論的な生命観が現れ始めている。
80年代以降のゲノム学の飛躍的発達や、近年の幹細胞技術やゲノム編集の登場によって、このような生命観は、ますます当たり前のものになりつつあるが、それはまた、これまでは不可能だったアイデアを表現するための形式を芸術にもたらしている。
この章では、このような問題設定のもと、「蘇生」を主題にする。作品の表現媒体となる不死化したiPS細胞や、断片的な生体は、「生と死」、「身体」、「美」、「個人」といったこれまでの芸術の主題をいかに書き換えるのか、そして「蘇生」という表象はどのような新しい意味を担うのかについて3作家の作品を通して潜考する。

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蘇生するユニコーン
平野真美
瀕死状態から蘇生しようとするユニコーンは、失われつつある前近代の魔術性が、合成生物学や人工知能など科学技術が高度に複雑化しまるで魔法のようになることで、現代に蘇りつつあることの優れた隠喩になっているとのことです

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Sugababe
ディムット・ストレーブ
ゴッホが切り落とした左耳を生きた状態で復元したもの
この「タンパク質でできた彫刻」は、話しかけると神経インパルスを模した音がリアルタイムで生成される仕組みを持つそうです

第2章
「人新生」
「フランケンシュタイン」の始まりと終わりの舞台は、北極の氷河だった。その時代、氷河は人間の無力さの象徴であり、まだ自然は、神のつくりしものだった。しかし、産業革命以降の科学技術の発展、人口の増加、資源消費量の増大によって、数億年かけて生成された化石燃料や鉱物資源が数世紀で枯渇し始めているように、自然は人間が効率よく急速に富を蓄積するための搾取の対象となり、その神秘性を失ってしまった。大気汚染(工場の排煙や自動車の排ガス)、海洋汚染(タンカーの座礁、プラスチックやビニールなどの廃棄物、家庭・工場からの排水、農薬や化学肥料の流入)、放射能汚染(原爆や原発事故)なども含めれば、かつてのような手付かずの自然を身の回りに探すことはいまや不可能に近い。実際、舞台となった氷河は、今や温暖化の影響でかなりの部分が溶け、かつての雄大な姿を失いつつある。
オゾンホールの解明でノーベル賞を受賞したパウル・クルッツェンらは、このように人為が自然を覆い尽くし、人間の活動が火山の噴火や津波、地震、隕石の衝突といった出来事に匹敵するほどの影響力を持つようになってきたことを2000年代初期に指摘し、新たな地質年代として「人新世」を提唱した。「人新世」の始まりは18世紀後半とされるが、「フランケンシュタイン」の主人公が、人工生命の創造に没頭していた時、美しい自然の風景にまったく心動かされなかったことは、自然を人為の及ばぬ崇高なものとして賛美したロマン主義にさえ、その凋落の兆しが記されていたことを示唆している。
この章では、「人新世」を主題に、このような「自然」や「崇高」の概念の凋落と現代美術の関係を4作家の作品とともに省察する。

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Why Not Hand Over a "Shelter" to Hermit Crabs? 
AKI INOMATA
3D プリンタで作られたさまざまな都市の模型にヤドカリを住まわせる作品
人工物を受け入れ背負うヤドカリはリテラルに人新世―人間が他の生命を圧倒し、それゆえに自らも絶滅のリスクに晒す時代―を表す隠喩となっている?

第3章
「生政治」
「フランケンシュタイン」の怪物は、飢えに苦しみ、粗野な食事を続け、異質なものとして冷徹な差別を受け、海外への移住を申し出るが、怪物の増殖を恐れた主人公によって伴侶を殺され、その復讐の末に自殺した。その悲劇的な描写に、当時のイギリスの貧困層の状況と、1798年に発表された古典派経済学者ロバート・マルサスの「人口論」への批判が読み取れる。つまり、マルサスの「人口論」は、「フランケンシュタイン」の著者の父であったウィリアム・ゴドウィンの言説を反証するための書物であったが、「フランケンシュタイン」の著者メアリー・シェリーは、貧困と食糧不足の対策として人口抑制を説いたマルサスに潜む優生学的な思想―貧困層の飢餓、産児制限や海外移住の容認―を怪物の描写を通して批判し返している。
マルサスの人口論は、1801年に実施されたイギリスの初の人口統計にも影響を与えたが、それは、「従わなければ殺す」という論理による中世の政治形態から、福利厚生や福祉を目的に個人の生を情報(出生率、死亡率、健康水準、寿命、それらを変化させる条件など)に還元し、集中管理する近代的な政治形態―哲学者ミシェル・フーコーが「生政治」と呼んだもの―への変容の始まりでもあった。しかし、現在が、近代の生政治とも明確に異なるのは、1970年以降の遺伝子組換え技術を中心としたバイオテクノロジーの発達とその産業化によって、生命の情報化を推し進めた点にある。いまやDNAやタンパク質や細胞から抽出した生物学的な情報は、個人の健康や能力や外見とより密接に結びついた商品化可能なデータベースとして管理されるようになっている。
第3章では、このような現代の「生政治」に焦点を絞り、ミクロレベルの物質や生物学的情報に潜む政治と芸術の未来についてヘザー・デューイ=ハグボーグとBCLの作品を通して提示する。

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Stranger Visions
ヘザー・デューイ=ハグボーグ
街角に落ちている髪の毛やタバコの吸い殻からDNA を採取し、落とした本人の顔を復元した作品

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BLP-2000B:DNA ブラックリスト・プリンター
BCL
ゲノム編集などの登場によって生命を簡易かつ安価に編集できる現状が誰でも生命科学の発展に貢献できる可能性を開くものにも、新たなバイオテロの引き金にもなり得るというジレンマを提示する作品

「フランケンシュタイン」関連記事
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ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」
ひなまつり
エルロック・オルメスの冒険
It's alive!

今日の1曲
2回目です
Inside Out 「インサイド・アウト」/ Bryan Adams
http://www.youtube.com/watch?v=mcDWJe5wPec
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ブライアン・アダムス 「デイ・ライク・トゥデイ



コメント(2) 
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コメント 2

華龍

モバサム41さん、こんばんは。
人の顔、怖いですね。再現された本人が気付いていないだろう事がもっと怖い。
バイオアートってすごいと思う反面進んでいく怖さもありますね。
怖いと思いながら見に行きたいと思ってしまいました。
by 華龍 (2018-10-31 02:12) 

モバサム41

華龍さん、コメントありがとうございます。
出品作品は少な目でしたが、原宿のファッション・ビルでの開催で、とてもインパクトがありました。
by モバサム41 (2018-11-02 03:16) 

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