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ラディゲの死 [ブック]





大戦の終わろうとするとき、マックス・ジャコブが、見馴れぬ少年をコクトオに引合わせた。
詩人ジャコブは小肥りした田舎の司祭といった風采の男である。連れて来た少年はまた変っている。小柄で、蓬髪で、顔色はロムブローゾオのいわゆる「天才の顔色」、蒼白である。身幅のよく合わない背広を着て、横柄な様子で、ステッキを小脇にかかえている。コクトオはその風貌に、彼が好んで書いた「怠け者の生徒のもつ倨傲」を見出した。
コクトオとジャコブとの話のあいだ、少年は一言も喋らない。しばらくしてジャコブがこう言った。
「君はコクトオが好きなんだろう。恥ずかしがるのは君らしくもないな。詩を一つ見てもらいたまえ」
少年は黙って上着のポケットの底をさぐった。皺苦茶の紙片をとり出して、それをテーブルの上で、子供らしい手つきで、掌でもって伸してみせた。
コクトオはその詩を読んだ。そしてロンサアルの十六世紀古詩の面影のある、陰翳の深い単純さに一驚を喫した。
「磨きだされた貝殻のようだ」とコクトオは思った。

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(左) ラディゲ詩集 双書・20世紀の詩人 16 小沢書店
(右) ラディゲ詩集 弥生書房
弥生書房の「ラディゲ詩集」の訳者は、作曲家のなかにし礼です

レーモン・ラディゲ
1903年パリ近郊のサン=モールに生まれ、中学生時代から詩作を始め、雑記帳や紙きれに書きつけた詩が、斬新な発想と完成した表現で、マックス・ジャコブやアンドレ・サルモンやトリスタン・ツァラなどの前衛詩人たちを驚かせた。特にジャン・コクトーはラディゲの才能を讃歎し、十七歳の天才詩人の詩は「燃える頬」(決定版)となって、世に出た。やがて、小説「肉体の悪魔」が問題作となったが、この神童は名作「ドルジェル伯の舞踏会」を遺して、1923年二十歳の若さで急逝した。

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(左) 肉体の悪魔 新潮文庫
(右) 肉体の悪魔 光文社古典新訳文庫

「帰らなくちゃいけないわ、二度とここに来ないで」
ぼくの苦痛の涙に、怒りの涙が混じっていた。罠にかかった狼は、罠の食いこむ痛みと同じくらい、自分の怒りに苦痛を味わうものだ。僕が口を開いたら、マルトを罵ることになっただろう。僕の無言は彼女を不安にした。そこに諦めを見ていたのだ。僕のこの不当な仕打ちは、おそらく先のなりゆきを予感していたものともいえるのだが、そのせいでマルトはこう考えたのだろう。(でも、もう遅すぎる。この人が苦しんでいるのと同じくらいわたしはこの人を愛している)
こんなに火が燃えているのに、僕はがたがた震え、歯が鳴っていた。僕を子供時代から引きはがす本物の苦痛に、いかにも子供っぽい感情がいり交じった。僕は、芝居の結末が気に入らないので劇場から出ていかない観客みたいなものだった。マルトにこういった。
「僕は帰らない。あなたは僕をからかったんだ。あなたにはもう会いたくない」
じっさい、両親のいる家に帰りたくなかっただけでなく、マルトにももう二度と会いたくなかった。彼女のほうをこの家から追いだしてやりたかった!
だが、マルトはすすり泣いていた。
「あなたは子供よ。分からないんだもの。帰って、といったのは、愛しているからよ」
僕は憎しみをこめて、あなたにはいろいろな義務があるし、夫が戦場に行っていることも承知していると答えた。
マルトは首を振った。
「あなたが現れる前は、わたしは幸せだったわ。婚約した人を愛していると思っていたのだから。彼がわたしのことをあまり理解してくれなくても許せたわ。わたしが彼を愛していないと分かったのは、あなたのせいよ。わたしの義務は、あなたが考えるようなものじゃない。夫に嘘をつかないことではなくて、あなたに嘘をつかないことなの。帰って、そして、わたしを悪い女だと思わないで。すぐにわたしのことなんか忘れるでしょう。何よりもあなたの人生を不幸にしたくないの。わたしが泣いているのは、あなたより年をとりすぎているからよ!」

この愛の言葉は子供っぽいせいで、いっそう気高かった。そして、今度僕がどんな情熱を知ることになっても、年をとりすぎているからと涙を流す十九歳の女性を見ることほどすばらしい感動を味わうことは二度とないにちがいなかった。
光文社古典新訳文庫(中条省平訳)より

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(左) ドルジェル伯の舞踏会 新潮文庫
(右) ドルジェル伯の舞踏会 岩波文庫

「……一体この世に、死に価いする作品なんてあるかしら」
「そういうものはあるともいえるしないともいえる」とコクトオは年長者の落着きを取戻して言った。「しかし二十歳で君が『舞踏会』を書いたということは……」
「でもこの原稿を読んだのはまだ君だけだぜ。世間はこの作品を読んで、掌を返して、僕を冷笑するかもしれないんだぜ」
「でも、僕が傑作と認めている以上、間違いはない。とにかく二十歳で君がこれを書いたということは、生命へのおそろしい反逆でもあるんだよ。生命の法則の無視でもあるんだ。君より少し大人であるだけに、僕は法則の違反者に対する自然の残酷な復讐の例を見て来ている。生きているということは一種の綱渡りだ。君は二十歳で『舞踏会』を書いたことでこの平衡を破った。何で君が平衡を取戻すかが問題だ。しかも『舞踏会』それ自体が、完全な平衡を保った作品だということは何たる皮肉だ」

ラディゲの熱は引くけしきがなかった。熱は階段のように一歩一歩昇った。食欲不振と得体の知れない不安が少年を苛なんだ。ついに医者がチフスの疑いを抱いたので、ピッシニ街の病院に移された。病状は亢進し、心臓は高熱のために甚だしく衰弱した。
十二月九日のこと、ラディゲはコクトオに、熱にひびわれた唇をうごかして、こう言った。
「ねえ、怖ろしい事になっちゃったんだ。三日のうちに、僕は神の兵隊に銃殺されるんだ」
コクトオは涙で息もふたがる思いをして、それとは反対の医者の言葉を発明して云ってきかせた。ラディゲは、天井をみつめたまま、喘ぎながら、言いつづけた。
「君のその情報は僕のほど正確じゃないんだ。もう命令は与えられてしまったんだ。僕はその命令を聞いたんだ」
やがて彼は無意識状態に陥った。口を動かしたり、コクトオやその名を呼んだり、ものに愕いたような表情でその視線を、父母や、自分の手の甲に置いたりした。
それから三日後に死んだ。ジャコブの腕がコクトオの腕を支えた。臨終の前にすでに涙の涸れ果てた友の様子を見ていたジャコブは、涙の中に慰藉を見出さなくなった友が、どうなるかを恐れたのである。

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レーモン・ラディゲ全集 東京創元社

引用文は、こちらからです
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三島由紀夫 「ラディゲの死」 新潮文庫

P.S.
最近、もう一冊入手しました
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新訳 肉体の悪魔 アーティスト・ハウス
なお、表紙カバーは、映画「肉体の悪魔」に主演したジェラール・フィリップです

できたら、もう1冊、こちらも手に入れたいので(できたら帯付きで)、お持ちの方はお知らせください(笑)
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ドルジェル伯の舞踏会―現代日本の翻訳 講談社文芸文庫
堀口大學訳で、相場は5,000円です

今日の1曲
「ラース家の舞踏会」は前にやっちゃったので、今回はこれ
やっぱりとてもおフランスです
Lettre à France 「哀しみのエトランゼ」/ Michel Polnareff 1977年
https://www.youtube.com/watch?v=lnIcQBh-utA
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シェリーに口づけ~ベスト・オブ・ミッシェル・ポルナレフ

P.S.2
これを忘れていました
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江口清 「天の手袋 レーモン・ラディゲの生涯」 カルチャー出版社
最終章「日本におけるラディゲの運命」に「早くからラディゲに関心を示した作家たち」として、堀口大學、堀辰雄、渡辺一夫、小林秀雄の名が挙げられています
その中から、小林秀雄得意の「印象批評」を以下に転載しておきます
「ジャン・コクトーの稚児さんを決定的に軽蔑してやろうと考えて『舞踏会』を読み始めた俺は、予期に反して引き入れられてしまい、電気ブランか女でないと容易に動きださない俺の脳細胞は、のたのたと読み始めるや忽ちバッハの半音階の様に均質な彼の文体の索道に乗せられて、焼刃のにほいの裡に、たわいもなく漂ってしまった。俺は一気に夜明け近く『ドルヂェル伯爵の舞踏会』を出た。……如何にも見事なものである。……三升家小勝の落語(はなし)をきいて外に出ると世の中の何もがしゃら臭く見える様に、俺は彼の舞踏会を出て、凡そ近代小説がどれもこれも物欲しそうな野暮天に見えた、これほど的確な颯爽とした造形美をもった長編(ロマン)小説を近頃嘗て見ない。それにしても子供の癖に何んという取り澄まし方だろう。やっぱり天才といふものはあるものだ……想えば廿歳で死んで了ったとは如何にもくやしいことである」。

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