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不在の騎士 [ブック]




「で、そこなる貴公、まこと一点の曇りもなく磨きあげた武具を着しておるが……」とシャルルマーニュが言ったのは、戦争が永びけば永びくほど、勇将たちのあいだに清潔の観念を見出すことが稀になって来るからだった。
「わたくしは」と、冑を閉ざしたそのなかから金属的な声が聴こえてきた。それは喉が発したものというよりは、鎧の鋼板そのものを響かせるというようで、軽い反響音の響鳴さえともなっていた。――「アジルールフォ・エーモ・ベルトランディーノ・デイ・グィルディヴェルニ・エ・デッリ・アルトリ・ディ・コルベントラス・エ・スーラ。セリンピア・チテリオーレならびにフェースの騎士であります!」
「あああっ……!」とシャルルマーニュは言うと、下唇を少々つき出して、何やら吐息を洩らしたが、それはまるで、「みなの名を残らず憶えておらねばならんとなったら、こりゃたまらんわい!」とでも言うかのようだった。しかし、すぐに眉をひそめて、――
「して、目庇をあげず、貴公の面を見せぬのは何ゆえか?」
騎士はどのような身ぶりも示さなかった。鉄をしっかりと継ぎ合わせた籠手に覆われた右手がさらに強く鞍の前輪を握りしめ、他方、楯を掲げもっていた左の腕が、ぎくりとしたように動いて見えた。
「貴公に申しておるのだぞ、ああん、勇士よ」と、シャルルマーニュはくり返した。
「貴公が仕える王に面を見せぬとは、どのようなわけか?」
と、はっきりした声が、頬当てのあいだから聴こえてきた。「なぜなら、わたくしは存在しないからでございます、陛下」
「おや、これはまた!」と、皇帝は絶叫して叫んだ。「今や我が軍には、存在しない騎士も加わっておるのか? ちょっとばかし見せてみい」
アジルールフォはなお一瞬、ためらっているかのようであったが、やがてきっぱりとした、しかし落ちついた片手の動作で目庇をもちあげた。冑は空洞であった。虹色の羽飾りを頂いたその真っ白い甲冑のなかには、誰も入ってはいなかったのだ。
「いや、はや、まったく! いろんなことがあるもんだわい!」とシャルルマーニュは言った。「だが、貴公は存在せぬとすれば、どのようにして奉公しようというのかな?」
「意志の力によって」と、アジルールフォが答えた。「また我らの聖なる大義への信念によって!」

かつて国書刊行会から出ていて、他に移籍した(?)作品ということで、「画図百鬼夜行」に続くのはこちらです
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イタロ・カルヴィーノ 「不在の騎士」 河出文庫
中世騎士道の時代、シャルルマーニュ麾下のフランス軍勇将のなかに、かなり風変わりな騎士がいた。その真っ白い甲冑のなかは、空洞、誰も入っていない空っぽ……。『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』とともに、空想的な<歴史>三部作の一作品である奇想天外な小説。現代への寓意的な批判を込めながら、破天荒な想像力と冒険的な筋立てが愉しい傑作。

国書刊行会版は、「文学の冒険」と名づけられたシリーズの1冊でした
知的な水準が高そうに見えて、でも、実はふざけてるだけ、ただ悪乗りしてるだけの作品なんですが…この手の冗談文学は、もう大好きです
出て来る登場人物がキャラ立ちまくり、まるでコミックの中と勘違いしているかのよう
主人公のアジルールフォは、無から有を生む強靭な意志の持ち主で、聖なる大義に燃える、これぞまさしく騎士道の鑑…なんて思ったら大間違い、やたら細かくて几帳面、怠惰な(つまり、ごく普通の)同僚たちを容赦なく責めるので、周りからは総スカン
虚無に飲み込まれてしまう恐怖心があるからか、彼には休息は許されず、常に明確で緻密な推論にふけり、また、何でもよいから手を動かし仕事に熱中、剣や鎧を磨かないではいられません
そして、(シャルルマーニュの命令で)アジルールフォの従者となるのが、グルドゥルー(あるいは、オモボー、マルティンスール、ベン=ヴァ=ウッスーフなど無数の別名あり)
彼は、主人とは正反対で、存在しているのに、自分が存在していることを知らない男
なので、家鴨を見ると、クワッ、クワッ、クワッ…と鳴き出し、自分を家鴨だと思い込んでしまいます
父の仇イゾアッレ太守を討つために聖戦に参加したのが、たまねぎ戦士のランバルト、彼は現実の戦が聴いていたものと大きく違い戸惑いますが、それでも仇の太守を意外とあっさりと討ち果たします
勝ち誇った彼は、さらに一人のサラセン人を追いつめますが、待ち伏せしていたもう一人のサラセン人に退路をふさがれ、二人がかりの攻撃に絶体絶命となり…
そこに颯爽と現れたのが、鎧の上に蔓日々草(ベルヴィンカ)色の長羽織をまとった女騎士ブラダマンテ、彼女は目にもとまらぬ早さで軽々と槍をふりまわし、敵を蹴散らします
若者ランバルトは、命の恩人に恋心を抱きますが、彼女からは完全無視
精確さ、厳密さを求めて騎士道の生活に飛びこんだ彼女は、どう仕様もない(つまり、ごく普通の)男どものいい加減さ、不潔さに幻滅、存在する男たちへの興味を失ってしまい、残された唯一の興味の対象は、まるっきり存在しない男アジルールフォだけになっていたからです

壮絶キャラが揃ったので(ランバルトは、やや平凡ですが)、できたらこのメンバーで聖杯探究以上の大冒険活劇を繰り広げて欲しかったのですが…物語は随分あっさりと終わってしまいます
ボリューム不足なのが、非常に残念
その点は作者カルヴィーノ自身も自覚していたようで、物語の語り手として登場する修道尼テオドーラが再三弁解してくれます
まあ、カルヴィーノは、発想は鮮やかですが、大作家としてストーリーを紡いでいく天分は持ち合わせていなかったのかもしれません
ああ、でも、お約束のサービス・カット、濡れ場は後半でしっかりと用意されています
生身の体を持たない男アジルールフォと貴族の未亡人プリッシッラとの情事は、果たして成立するのか?…興味を持たれた方は、ぜひ本書を読んでみてください(笑…野人グルドゥルーも侍女たちとの合戦で大活躍します)

今日の1曲
You're So Vain 「うつろな愛」/ Carly Simon
1973 年の全米No.1 ソング
バック・コーラスでミック・ジャガーが参加しています
https://www.youtube.com/watch?v=gOq3XLiXSMA
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このシングル盤は、当時評判のノー○ラジャケットでした(笑)


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