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小林ドンゲ初期版画 [アート]




まずは、こちらから
小林ドンゲ
2008年4月の記事でした

そして、それから9年…
再び巡り会うことができました

収録作品展
小林ドンゲ―初期版画を中心として
2017年5月27日(土)―7月17日(月・祝)
佐倉市立美術館
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図は「空しいとき」 制作年不詳

以下、チラシ(裏面)より
この度、当館ではビュランという道具で銅板を直に彫っていくエングレーヴィングという技法を用いて、独自の表現を確立した小林ドンゲの作品を中心にご紹介いたします。
小林は1926(大正15)年、東京都に生まれ、現在は千葉県印西市に在住する作家です。当初、画家を目指していた小林は1949(昭和24)年、上野の森美術館でルシアン・クートオ(Lucien Coutaud/1904-1977)の銅版画を観たことから関心を持ち、関野準一郎(1914-1988)が杉並区の自宅を開放して行っていた銅版画研究会(通称:火葬町銅版画研究所)において、エッチングやアクアチントを関野や駒井哲郎(1920-1976)から教わります。小林は文学や能への造詣が深く、詩人・堀口大學(1892-1981)から詩集の挿絵や装幀を託されるなど、その仕事は早くから高い評価を受けていました。
本展では、小林が銅版画を学び始めた最初期の作品を中心に展示、作家が人生を通して追求してきた銅版画表現の魅力をお伝えいたします。その稀有なる作品をお楽しみください。
尚、本展では小林と共に戦後版画を代表する作家として浜口陽三(1909-2000)、深沢幸雄(1924-2017)、池田満寿夫(1934-1997)の作品と、深沢に銅版画を学んだ夭折の作家・清原啓子(1955-1987)の作品をあわせて展示いたします。

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「白鳥とれだ」 1950年代
小林ドンゲといったら、やはり「切れ長の目」
古代エジプトの人物画は、横顔なのに目は正面を向いて描きますが、ドンゲも同じ
ただ、エジプト画が凝固したイメージ(神の永遠性を表す?)なのに対し、ドンゲの作品は目に情念が込められているので、こちらに迫ってくるものがあります

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「酔ふ男」 1950年代
師匠である駒井哲郎を描いた作品だそうです

他にも、「双生児」や「青蛾」など新たな傑作を発見しましたが、会場は撮影禁止
ネットで探しても見つからず、ここでご紹介できないのが残念です
(追記)
見つかりました
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「青蛾」 制作年不詳

また、『雨月物語』の挿画は、銅版画ではなく、水彩絵具や鉛筆で描かれたもので、線のタッチが異なり、とても新鮮でした

関連作家については、池田満寿夫の「澁澤龍彦の肖像」をご紹介したかったのですが、やはりネットで見つからず、断念
代わりに、夭折の作家・清原啓子の作品を掲載しておきます

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「魔都霧譚」 1986年
ガチガチのゴシックです(笑)

今日の1曲
Don't Get Me Wrong 「ドント・ゲット・ミー・ロング」/ The Pretenders 1986年
https://www.youtube.com/watch?v=xitx9VD_dnc
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ザ・グレイト・プリテンダーズ

さらに…
こんなものも
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銅版画集「火の乙女―サロメ」
…のホンモノだったら良かったのですが(笑)、こちらは出版案内パンフレットです

裏面もどうぞ
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アマゾンのマーケットプレイスで売りに出ている銅版画集は、限定7部の豪華特装版でもなければ、限定10部の特装版でもなく、限定58部の普通版だと思いますが、それでも定価を上回っていますね
セールで2シーズン毎に買っているスーツを3回パスすれば買える計算になります(笑)

なお、出版案内パンフレットの内側には、ドンゲの写真が掲載されていますが、それは公開しないで、代わりに、以下の文章を転載しておきます

ドンゲのサロメ
堀口大学
小林ドンゲ君がビュランを握り初めてから、はや何年に成るだろう。
思い出の中の彼女は、20年前、すでに一応名のある女流エッチャーだった。
1957年というから、今から18年前、僕は自分の重要な詩集『夕の虹』の挿し絵と装幀を彼女に託しているが、これが甚ださいさきよく、その年の読売詩集賞に推されている。
近くは去年12月、吾八ぷれすから出版した近作詩集『沖に立つ虹』も、今年の4月、はるぷ出版から出した『堀口大学詩集』も、君の労作を数多く着飾って現われたおかげで、読書界に、よろこび迎えられている。
年々の春陽展出品の他に、君はまたアラン・ポーの『アッシャー家』、上田秋成の『雨月物語』なぞ、東西の名著にいどみ、大がかりな労作を世に問うている。
ところで、これまでの小林ドンゲの作風は、凄艶そのもの、江戸っ子の血を享けた歯切れのよさ、痛いほどに迫る鬼気の鋭さに、見る者は血のひく思いで、尚かつその絵に引きつけられて行ったものだ。
こわいもの見たさ、この味が、若いファンをよろこばせ、ドンゲ・ブームを捲きおこした。
それなのに僕の慾には際限がない。円味が欲しかった。あれでは尖りすぎていた。
女々しさが、お色気が、ドンゲの線に、形に現われる日が待たれた。
僕の感じでは、これまでは、小林ドンゲの成長期だった。次ぎに来る成熟期の作品が待たれた。
今年の4月、鶴岡八幡宮の参道の、夜ざくらの下を歩きながら、彼女が言った。
「――先生、サロメをやっていますの……。聖書の中のサロメを、拡大解釈した自分のサロメですの。」
10月に入ると、ドンゲが、サロメの試し刷り4種をたずさえて、プリントアートの魚津章夫氏と一緒に訪ねて来た。
ひらいた。見た。
サロメが出て来た。
火の乙女・サロメ、燃え上る形而下の恋情に、身もだえ、身をくねらせ、エロスの息吹きの中を、泳ぎまわるドンゲのサロメが。
待望の、小林ドンゲの、芸術の成熟期の幕があいた。変化は進歩、嬉しいことだ。
1975年11月14日 葉山森戸川の岸辺にて


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