SSブログ

HAKUSUISHA [ブック]




特製原稿用紙や県立神奈川近代文学館のチケットをいただいたことは、前にも報告しましたが…

なんとまた当ててしまったようです

さすが、「おフランス同盟」の絆は強力です(笑)

ww3'.jpg
メルマガ読者プレゼント当選のお知らせ

謹啓
日頃は格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。
先日は、弊社メルマガ「月刊白水社」第300号記念読者プレゼントにご応募いただき、誠にありがとうございました。抽選の結果、当選されましたので…

で、第300号記念の超豪華プレゼントはどこよ?どこなのよ? と封筒の中を隈なく探しましたが、何も見当たらず…

半ば絶望感に浸りながら、「当選のお知らせ」の紙を裏返してみたところ…

こいつがペタッと貼り付いておりました

ww4'.jpg
う~ん、地味過ぎる(笑)

でも、木製しおりに描かれた雄鶏君の姿は「わび・さび」感に溢れていて、結構気に入ってしまいました


さて、今回は文庫クセジュにスポットを当てます
うちのブログでも、Uブックスに比べると扱いが軽かった気がします

白水社ってあんまり商売っ気がないような印象を持ちますが、実は地道にプロモーション活動続行中で、クセジュだと毎年秋に全国約40の書店で「《文庫クセジュ》ワンテーマ・フェア」を開催
例えば、昨年のワンテーマ・フェアは「芸術をさらに味わうためのミニ知識」でした

…で、2冊購入しました
 
ww2'.jpg
文庫クセジュ Q1019
ギリシア神話シンボル事典
ソニア・ダルトゥ

(帯のコピーから)
絵画・映画・ゲーム・アニメ……
シンボルに隠された意味を読み解こう!
この事典があれば、作品を一層楽しめる!

(3つのシンボルを紹介しておきます)
オリュムポスの十二神 Douze dieux de l'Olympe
この十二の神々こそギリシアのパンテイオンの主要人物であり(→多神教)、彼らはギリシア全土で崇められている。神話によれば、この十二神はギリシアの北部にあるオリュムポス山に住み、最高神ゼウスを中心とするひとつの社会を形成している。オリュムポスのメンバーとして、まずは自分の子供たちを妻の胎内から出てくるそばから呑み込んでしまった残忍な巨人クロノスの吐き戻しによって誕生した神々がいる。ゼウス、ヘラ、ポセイドン、ハデス、デメテル、そしてヘスティアで、この六神がオリュムポスの第一世代ある。この六神に彼らの子孫が加わり、それによって、十二神のサークルが出来上がった。アポロン、アルテミス、ヘルメス、アテナ、アプロディテ、ディオニュソス、それにヘパイストスである。しかし、このリストは決定的なものではない。ギリシアの多神教はいかなる教条主義からも自由であり、その伝統は詩人によって柔軟に変わる。ヘパイストス、ディオニュソス、地下の冥府に住まう死者たちの王ハデスでさえ、オリュムポスの神々に自動的に列せられるわけわけではない。ギリシアの神々の<オールスター>とも言うべき「十二神」に捧げられる祈りがあったのもたしかだが、都市の人々は、たとえば戦争のときとか、お産のときとか、収穫の時期とか、航海に出るときとか、それぞれの場合に応じて、自分の願いを叶えてくれるはずの、ひとりないし複数の神に供物や生贄を捧げたり、祈願したりすることが多かった。
パンドラの箱 Boîte de Pandore
この箱――本当は大きな甕である――の話は、人類にとって重大な転機となる事件であった。黄金時代には、女は存在しなかった。それは、人間が、何の屈託もなく、神々とともに生活していた幸福な時代であった。ところが、巨人プロメテウスが、大胆にも神々から火を盗み、それを地上世界にもたらした。その傲慢さが、ゼウスの怒りを招いたのである。オリュムポスの最高神は、罰として、人間たちに「贈り物」を送り届けることにした。そしてこの「贈り物」こそが、人類を震撼させたのである。その「贈り物」とは、美しいと同時に恐るべき存在、すなわち女であった。女は、火と同じく、男たちの財産と精力を貪り食ってしまう。パンドラは神々の創作品なのに、なぜか好奇心旺盛で、ゼウスが絶対に開けないようにと忠告したにもかかわらず、甕の蓋を開けてみたいという誘惑に勝てなかった。彼女が蓋を開けると、それまで甕に閉じ込められていたあらゆる災危――疲労、死、病気、不幸――がいっせいに飛び出し、世界中に広がった。恐れおののいたパンドラは、あわてて蓋を閉めたが、すでに手遅れだった。希望だけが、パンドラの箱に閉じ込められたまま残された。それ以来、人間たちの生活は、永遠に矛盾だらけで、一寸先は闇となり、人間は誰もが、若さと老い、飽満と飢えとのあいだをさまよい続けることになった。こんなふうにして、人間の条件が不確かであいまいになってしまったのである。
豹 Panthère
狩りの名手、けっして飼いならすことのできない野性、派手な斑点模様の毛皮、そんな特徴を持つこの猛獣は、ディオニュソスのお供の一員である。じっさい、豹の背にまたがったディオニュソスの姿が描かれることも多く、そのあとにティアソス、すなわち踊り狂うサテュロスとマイナデスが付き従う。ディオニュソスは、彼の仲間であるマイナデスと同様、パルダリス(Pardalis)と呼ばれる豹の皮を肩に結びつけている。こうした豹との親近性は、ディオニュソスの特異な生まれ方にその理由の一端があるとされる。ゼウスの不義の子であるこの神は、いわば「二度生まれた」神である。というのも、ディオニュソスは、死んだ母セメレの胎内から取り出されたあと、父親の太腿のなかで育って生まれたのだ。しかもこの神は、誕生後も父親の正妻ヘラの恨みを買い続けたから、変装したり、女装したり、逃げ回ったり、「非文化的」世界に入り込んだりしながら、ギリシア中を、さらに近東諸国をも、さすらわねばならなかった。こうした数奇な少年時代を過ごしたために、ディオニュソスは、あらゆる境界線――地理的境界線はもとより、男女を隔てる性的境界線、さらには人間と動物を分かつ境界線――を自由に横断するという才能を発揮するようになった。それゆえに、ディオニュソスの豹との親近性は、この神が「野生の」世界とたえず交流しながら、その力と生命力をわがものにしていることも示している。ギガスたち〔巨人族〕との闘い(Gigantomachia と言う)の場面を描いた絵画において、鋭い爪をした前脚をまるで武器をかざすように伸ばしている豹が描かれていることがあるが、その豹はまさしくディオニュソスの標章なのである。

ww1'.jpg
文庫クセジュ Q905
キリスト教シンボル事典
ミシェル・フィエ

(帯のコピーから)
絵画にひそむシンボルや色彩の謎、
弦楽四重奏の尽きせぬ魅力…
この1冊で名画や名曲の味わいはさらに深まります。

(こちらも3つ紹介しておきます)
荒れ野 désert
①不毛で容易に人を寄せつけない荒れ野は、それゆえまた、より良い場所、より良い常態に至るための試練の場でもありうる。ヘブライの民は、四〇年のあいだ、約束の地をめざして、シナイの荒れ野をさまよい続けた。荒れ野は、肉体的にも、精神的にも、多くの試練を彼らに課したが、そのたびにヤハウェがその民に救いの手を差し伸べた。あらゆる誘惑に襲われる荒れ野にあっては、神の恩寵にわが身を委ねるほかに生きるすべはない。
②公生涯に入るまえ、イエスは、四〇日間、荒れ野にとどまった。その間、三回にわたって悪魔の誘惑を受けるが、彼はそれに屈しなかった。「すると天使たちがやって来て、イエスに仕えた」。
③多くの聖人が、隠修士や苦行者となり、荒れ野で隠遁生活を営んでいる。キリストと同じく、聖アントニウスも砂漠で誘惑を受けた。
④フランスのプロテスタントにとって、「荒れ野の協会」とは、ナントの勅令の廃止(1685年)以後、彼らが余儀なくされた信仰の秘密を意味する。
聖杯(グラール) graal
グラールはもともと、キリスト教以前のケルトの伝統において、王権を表す聖なる器であった。中世文学では、とりわけクレチアン・ド・トロワによって、グラールは円卓の騎士たちが追い求める宝物となった。キリスト教的解釈によれば、グラールはカリス、すなわちイエスが最後の晩餐で使い、その後さらに、百人隊長によって刺し貫かれた十字架上のキリストの脇腹から流れ出た血をアリマタヤのヨセフが受け止めるのに使った聖杯であるとされる。かくして、聖杯の探究は、聖体の犠牲を拝領し、その犠牲にみずからもあずかろうとする、霊的な行動なのである。
四文字(テトラグラム) tétragramme
①四つの子音字YHWH からなる語で、モーセに明かされた神の名を構成するヘブライ文字をラテン文字に転記したものである。この神の名は、「わたしはある」、「わたしはわたしがあるところのものである」、あるいは「わたしはあるものである」を意味するが、要するにそれはあらゆる名を超えた名であって、その名をみだりに口にすれば、神への冒瀆となりかねない。
②キリスト教徒の場合、その名を口にることができない旧約の神に代わって、「子」として受肉した神が到来した。そして神の子であるイエス・キリストという名前は、誰もが自由に口にすることができる。

今日の1曲
Good Morning Good Morning 「グッド・モーニング・グッド・モーニング」/ The Beatles
https://www.youtube.com/watch?v=5JbNxFEh7vo
しつこいですが、アンコールを(笑)
「キリスト教シンボル事典」からです
雄鶏 coq
①キリスト教の象徴体系では、雄鶏は聖ペトロと彼の三度の否認に結びつく。あとになって、ペトロはイエスの言葉を思い出す――「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」。ここでは、雄鶏は誘惑に対する警戒心を意味するが、ペトロは誘惑に屈してしまった。
②雄鶏はまた、より一般的な意味で、目覚めている状態を意味する。早くから目を覚まし、新しい一日の曙光の訪れを鬨の声で告げる雄鶏は、闇に対する光の勝利、あるいは死に対する生の勝利を知らせる番人ないし伝令なのである。要するに、雄鶏はキリストの復活のシンボルにほかならない。

「白水社」関連記事
大掃除ネタ
↑ おお、白水社のテレカも持っていたようです(VIP です)
黄色い本
「ゴドーを待ちながら」再読


コメント(0) 
共通テーマ:音楽

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

4AD キャンペーンALL BLACK EDITION ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。