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永遠 [ブック]




永遠 Éternité

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

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中原中也訳 「ランボオ詩集」 岩波文庫
「季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える…」
早熟早世の二人の詩人の個性がぶつかり合って生まれた化合物とでも言うべき訳詩集。中也は自らの詩人としての嗅覚を頼りにランボオの詩を読み解き、無手勝流に見事なまでの中也節で訳し上げてみせた。

中原中也とランボオではあまりに距離が近い、オリジナルとコピーのような関係なので、このバトルは面白味に欠けるという意見があるかもしれませんが、中原中也もしっかり自己主張していて良い取り組みになったと思います
ランボオを題材にする場合、決まって、その詩作からの早々のリタイアメントに話が及ぶのですが、この点についても中原中也は冷静に見極めていた気がします

いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐた。
さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外は何にもなかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つてゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如何にそのとるに足りぬことにかかづらつていることだらう、といふことに他ならぬ。
 繻子の色した深紅の燠よ、
 それそのおまへと燃えてゐれあ
 義務(つとめ)はすむといふものだ、
つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。
所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。ランボオの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!
云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。
もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつとヹルレーヌ風の楽天主義があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢見る道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯ヹルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかつた。
ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からである。

せっかくなので、中原中也の盟友であった小林秀雄のランボオ訳も掲載しておきます
ただ、私が持っている岩波文庫版「地獄の季節」には…
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「永遠」は収録されていないため、ネットで拾ったもの(冒頭の第一連だけ)を掲載しておきます

また見付かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。

さて、中原中也に小林秀雄と来たら、ちょっと下世話ですが、愛のトライアングル、長谷川康子にも触れておかねばなりません
地元の名門中学に入学当初は神童と呼ばれた中也は、短歌の世界にのめり込み、学業を怠るようになり落第、世間体を気にした父に京都の立命館中学へ転入させられます
その京都時代に知りあったのが、長谷川康子
彼女は女優を志し、19歳で家出し上京、関東大震災に遭って京都へ逃れていたところでした
ダダイストを自称する中也から自作の詩を見せられた康子は「面白いじゃないの」と褒め、やがて中也の下宿で二人の生活が始まります
後に康子は著作の中で「二人の生活は気がめいることも多かったが、中也の詩を読むと自然に涙が流れた」と語っています
中学4年を終えた中也は、詩人として身を立てる決意をし、上京
康子も再び芝居ができると喜び、同伴します
ところが、中也は詩作に夢中になり、康子のことを顧みなくなります
そんな康子に中也の新しき友人で東京帝大仏文科の新入生、小林秀雄が囁きます
「あなたは中原とは思想が合い、僕とは気が合うのだ」
そして、「どっちにつくんだ」と迫ります
泰子は女優になる夢を捨て難く、中也との生活を清算しようと決意
ついに、中也に告白します
「私は小林さんとこへ行くわ」

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「永遠」ですが、ついでのついでに堀口大學訳も掲載しておきます

もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番(つが)った
海だ。

待ち受けている魂よ、
一緒につぶやこうよ、
空(むな)しい夜(よる)と烈火の昼の
切ない思いを。

人間的な願望(ねがい)から、
人並みのあこがれから、
魂よ、つまりお前は脱却し、
そして自由に飛ぶという……。

絶対に希望はないぞ、
希いの筋もゆるされぬ。
学問と我慢がやっと許してもらえるだけで……。
刑罰だけが確実で。

熱き血潮のやわ肌(はだ)よ、
そなたの情熱によってのみ
義務も苦もなく
激高(たかぶ)るよ。

もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番(つが)った
海だ。

このランボーの「永遠」という詩は、実はヴェルレーヌとの愛を歌ったものであるという説があります
となると、堀口大學のこの大胆な訳が一番ぴったりだということになります

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堀口大學訳 「ランボー詩集」 新潮文庫

今日の1曲
L' Éternité / Arno Elias
https://www.youtube.com/watch?v=1s3JSzf3vJw
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Corazon

作曲家諸井三郎の目撃談
「まことに変わった格好をした一人の若者とすれ違った。一目で芸術にうつつを抜かしているとわかるような格好だったが、黒い、短いマントを着、それに黒いソフトのような帽子をかぶった、背の低い、小柄なその人物は、一種異様な、しかし強烈な印象を与えずにはおかなかった。」

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ヴェルレーヌがスケッチしたランボー少年
「ランボオ詩集」にも掲載されています

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