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公安委員会で執務中のサン=ジュスト [アート]




 そのうち高等学校で天長節の式の始まる号鐘が鳴り出した。三四郎は号鐘を聞きながら九時が来たんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんと漸く気が付いた時、また箒がないという事を考え出した。また縁側へ腰を掛けた。掛けて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうと明いた。そうして思も寄らぬ池の女が庭の中にあらわれた。
 二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲の中に立た池の女を見るや否や、忽ち悟った。――花は必ず剪て、瓶裏に眺むべきものである。
 この時三四郎の腰は縁側を離れた。女は折戸を離れた。

もしも私が中村とうようだったら…
そして、「ミュージック・マガジン」の「クロス・レヴュー」で小説も扱うとしたなら…
さらに、そこで夏目漱石の作品を取り上げることになったとしたら…
(三段仮定論法です…笑)
「こころ」には、0点を献上するしかありません
でも、「三四郎」は、なかなかイケてると思います
これの正体は諧謔小説で、漱石は大文豪の振りをして執筆しながら、横向いてベロを出し、まじめな読者がどのような反応を示すのか面白半分で伺っていたに違いありません
ただ、今回の(久々の)記事では、漱石の作品そのものについて触れたいのではなく…
ちょっと端っこの方から攻めてみたいと思います

 「失礼で御座いますが……」
 女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例の通り前へ浮かしたが、顔は決して下げない。会釈しながら、三四郎を見詰めている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその眼が三四郎の眸に映った。
 二、三日前三四郎は美学の教師からグルーズの画を見せてもらった。その時美学の教師が、この人の画いた女の肖像は悉くヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の眼付を形容するにはこれより外に言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうして正しく官能に訴えている。けれども官能の骨を透して髄に徹する訴え方である。甘いものに堪え得る程度を超えて、烈しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しく媚びるのとは無論違う。見られるものの方が是非媚たくなるほどに残酷な眼付である。しかもこの女にグルーズの画と似た所は一つもない。眼はグルーズのより半分も小さい。

私が喰いついたのは…
まずは、「ヴォラプチュアス」という聞きなれない言葉
これは、注によると「【ヴォラプチュアス】肉感的な、官能的な、の意。」だそうです
それから、画家「グルーズ」
注には、「【グルーズ】ジャン・バティスト・グルーズ(1725~1805)。フランスの画家。」とあります
えっ、これってもしかして…

興味を覚えてウィキペディアで調べてみると…
ジャン=バティスト・グルーズ (Jean-Baptiste Greuze, 1725-1805) 宮廷風俗を描いた同時代の他の画家と違い、市民生活に題材を求めた風俗画を多く描いた。当時は絶大な人気を誇っていたが、その後18世紀の忘れられた画家として低い評価を受けた。

やはり、間違いありません
以前掲載したこの作品
PIC00015.jpg
「公安委員会で執務中のサン=ジュスト」
サン=ジュストの肖像画の一つですが、グルーズ画とありました 

ならば…ということで、画像検索してみたところ
見つかりました
これが、オリジナルのようです
sj'.jpg
うーん
でも、なんかちょっと違う…
最初の絵は、オリジナルからコピーを重ね、その結果相当に劣化したヴァージョンなのでしょう
でも、その劣化ヴァージョンの(なんとなくポール・マッカートニー似の)不敵な笑みには、内面の強靭さが表れていたものです
ところが、オリジナルとなると、ただただ柔和なだけで、これじゃあ到底過酷な大革命期を生き抜けまい…
グルーズが19世紀に入って急速に評価を下げ、忘れられる存在となったのも、その辺りの描写の「甘さ」が原因だったのかもしれません

今日の1曲
Metal On Metal 「メタル・オン・メタル」/ Kraftwerk
https://www.youtube.com/watch?v=tYAb0J2w0q4
kw'.jpg
ヨーロッパ特急
クラフトワークは、1975年に「アウトバーン」がビルボードHOT100(シングル・チャート!)を駆け上がり、トップ40入りした(最高位25位)のをリアル・タイムで体験しています
ただ、その後は存在をほとんど忘れていたのですが、80年代に12インチ長尺盤が登場、間奏部でメタル・パーカッションを入れる展開が流行し(中でも一番過激だったのがZTTのアート・オブ・ノイズやプロパガンダ)、そう言えば、クラフトワークが70年代にすでにやっていたな、と『ヨーロッパ特急』に回帰した記憶があります

P.S.
先進的なスウェーデン・ケアを日本の介護業界に導入し、展開しているGさんが、忘年会に参加してくれました
その際、「日本で一番有名なスウェーデン人は誰?」という話題になり、ビョルン・ボルグだ、ABBAだと参加者の間で意見が分かれましたが、私がフェルゼン伯だと力説したところ、約2名の方(どちらも女子)が賛同してくれました
どうもありがとうございます(笑)


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